遠州森の観光・歴史について、わかりやすく解説してゆきます!
初心者や詳しくない方にも楽しめるよう解説してゆきます!

天竜浜名湖線・遠州森駅(静岡県周智郡森町)
静岡県で唯一の「まち」・森町(遠州森)

遠州森(森町)の景色(静岡県周智郡森町)
森町は、静岡県西部の遠州にある町です。
遠州とは、静岡県西部の地域・エリアのことを言います。かつて遠江国と呼ばれていたので、遠州というわけです。
また、静岡県東部のことを駿州とも言います。駿河国なので、駿州ですね。
森町は、周智郡のエリアに属しています。

遠州森(森町)の景色(静岡県周智郡森町)
北海道の森町(もりまち)も、北海道唯一の「まち」
森町は、静岡県内の町では唯一、「ちょう」ではなく「まち」と呼ぶ町になります。
これは、北海道の森町と同じになります。
北海道の森町については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

両者とまなぜ「まち」なのかについては、諸説あるようです。
遠州森へは、天竜浜名湖線で
掛川駅(掛川市)から、天竜浜名湖鉄道で遠州森(森町)へ
遠州森のある森町へは、掛川駅(静岡県掛川市)から、天竜浜名湖線という、私鉄(第三セクター)の路線で向かうことができます。
ちなみに、掛川駅から遠州森駅までの時間と料金は、
- 27分
- 530円
です。
元々、戦前に東海道線のバックアップとして建設された天竜浜名湖線
天竜浜名湖線は、もともとは戦前に、当時の日本にとって軍事輸送に欠かせなかった、東海道線のバックアップ路線として建設されました。
具体的には、天竜浜名湖線は戦時中に東海道線が攻撃されるなどで使えなくなったという場合に備えて、万が一のときの迂回ルートとなる軍事路線として計画・建設されました。
天竜浜名湖線は、もともとは国鉄の二俣線という路線でした。
民営化により、JR社の路線からは切り離される
そして、1987年に国鉄分割民営化により、新たに民間鉄道会社としてのJRグループが発足しました。
つまり、JR社は元々は「国鉄」という、国の組織だったというわけです。
しかし、天竜浜名湖線の前身となる二俣線は、JR社が引き続き事業を継承したわけではなく、新たに天竜浜名湖鉄道という鉄道会社がそのまま路線を引き継ぎ、運営するという形の路線となりました。
「二俣線」の路線を引き継いだ、天竜浜名湖鉄道
天竜浜名湖鉄道は、
- 静岡県と
- 沿線にある数々の自治体
による出資によって、設立された鉄道会社です。
この天竜浜名湖鉄道へと国鉄二俣線の路線が引き継がれ、現在も鉄道事業を運営している、というわけです。
自治体からのサポートで運営が維持される、重要な路線
このように鉄道会社には、県や自治体がお金を出しあって、維持しているという鉄道路線もあります。
それは、地域住民の通勤・通学の足として重要であり、無くなると困る人たちがたくさんいるからです。
そのため鉄道は、地域の経済を支えるための、重要な基盤としても機能しているわけです。
岐阜県恵那市まで続く予定だった
さらにいうと、天竜浜名湖線は、もともと岐阜県恵那市までを結ぶ「遠美線」の一部として計画されていました。
- 遠:遠江国→静岡県掛川市
- 美:美濃国→岐阜県恵那市
具体的には、掛川駅からはるか北西の、
- 岐阜県大井町(現在の恵那市)
へと至り、中央本線に接続する路線として計画されました。
大井町(恵那市)については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

浜名湖から新所原駅へ至るルートを優先して、恵那市までの延伸を断念
先述の通り、かつて岐阜県恵那市まで到達する計画がありましたが、実現はしませんでした。
そられは、当初の計画が軍事上の理由で、浜名湖付近の東海道本線のバイパス経路(代替ルート)として、
- 新所原駅(静岡県湖西市)
までのルートが優先されたためです。
さすがに戦争が激しくなると、バックアップルートの方が優先で、他は後回しになったのでしょうね。
その後、先述の通り、国鉄の分割民営化により、天竜浜名湖鉄道として引き継がれました。
しかし、恵那市までの延伸はなされることはなく、現代に至ります。
「小京都」ととも呼ばれる森町(遠州森)
森町は、まるで京都のような美しい町並みが残っているため、「小京都」と呼ばれました。
また、静岡県西部(遠州)の小京都であることから「遠州の小京都」とも呼ばれるようになったのでした。
「小京都」とは?
小京都とは、古い町並みや景観が京都に似ていることから、日本各地で名付けられた街の愛称です。
- 古い街並み
- 風情が、京都に似ていること
から、日本各地で名付けられた街の愛称のことです。
「小京都」を名乗るための条件
ちなみに公式に「小京都」と名乗れるのは、あくまで全国京都会議に加盟した自治体になります。
もちろん自称くらいはできるかもしれませんが、この会議に加盟しておかないと、「大っぴら」に「小京都」を名乗れないということなのでしょう。
ちなみに「小京都」となるための条件は、
- 京都に似た自然景観、町並み、たたずまいがあること
- 京都と歴史的なつながりがあること
- いかにも「京都」というべき、伝統的な産業、芸能があること
といったものがあります。
かつて室町時代以降、各地の大名が京都を模倣した(マネをした)町づくり、つまり都うつしをしたことが、小京都の起源とされています。
室町時代に行われた「都うつし」とは?
ちなみに、室町時代の都うつしとは、室町幕府の将軍や有力大名が、京都を模倣して、
- 他の地域に、まるで京都のような都市を建設する
といった行為を指します。
なぜこうしたのかというと、
- 京都の文化や政治的な権威を、地方へと広める
- 自らの勢力を誇示する
といった目的がありました。
かつて森町を通っていた、秋葉神社へと通じる「秋葉街道」
森町はかつて、秋葉山本宮・秋葉神社へと通じる、秋葉街道の宿場町として賑わったのでした。
つまり森町は、はるばると徒歩で秋葉神社へ向かう旅人たちにとっての、宿泊地・休憩地・食事場として栄えてきたわけです。
秋葉神社とは、浜松市のかなり北に存在する神社です。
詳しくは後述します。
秋葉街道とは、静岡県浜松市の北部に存在する
- 秋葉山本宮秋葉神社
へと、はるばる至るための通路である参詣道として、江戸時代に特に賑わった街道・ルートのことです。
昔は、自動車も鉄道もありませんでした。
そのため、徒歩または馬などで、神社やお寺へとはるばると旅をして参拝するということが、一般的だったというわけです。
参詣道とは? 神社やお寺に通じる、参拝客で賑わう道
ここで参詣道とは、神社やお寺に参拝するために通る道のことです。
参詣道には、たくさんの茶店やお土産店などが並んでおり、いつも多くの観光客で賑わってるというようなイメージです。
かつては「塩の道」とも呼ばれた秋葉街道
秋葉街道は、かつて
- 信州(長野県)側からは、北の諏訪湖や伊那谷方面から
- 遠州(静岡県西部)側からは、西の浜松や、南の掛川方面から
それぞれ、秋葉山を目指すという人々で賑わいました。
そのほか、「塩の道」や軍用路としての歴史も持ちました。
つまり、内陸部では採れない塩を運んで、長野県(信州)などに運んでいた道だった、というわけです。
詳しくは、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

火除けの神様・秋葉神社
秋葉山本宮秋葉神社は、静岡県浜松市天竜区に存在する、標高866mの秋葉山の山頂付近に存在する神社です。
なお、読み方は「あきば」ではなく、「あきは」です。
日本全国に存在する、秋葉神社(約400社)の総本社になります。
秋葉大権現および秋葉寺のほとんどについて、その事実上の「信仰の起源」となった神社になります。
昔は木造建築が多く、多発する火事を鎮めるための信仰
秋葉信仰は、特に火災の多かった江戸時代に広まりました。
そして、全国各地に秋葉神社が建立されてゆきました。
特に、火災を防ぐ神として、江戸時代には「秋葉参り」が流行したため、ここから全国のあちこちへと神様が招かれ、分社が勧請されました。
昔は木造建築が多く、火事が多く発生し、消防技術もままならなかったため、「火除けの神様」に頼るしかなかったのでした。
消防もままならない時代、「火除けの神様」は、とても民衆にとって重要だった
昔は木造建築が多かったため、火事が頻繁に発生し、人々の生活にとってはとても大きな脅威でした。
しかも当時の「火消し」などはほとんど効果がなく、一度燃えると本当に手がつけられなかったのでした。
そうなると、もはや「火除けの神様」に頼るしかなかったのでした。
そのため、火防の神として秋葉神社が広く信仰されてゆくことになりました。
例えば、火を消すための行事や、そのための風習などが民衆たちのあいだで根付いていったのでした。
特に江戸時代には、密集した木造家屋が多かったため、秋葉信仰は一般の庶民の間で、とてもに重要視されていました。
アキバ(秋葉原)との関係
ちなみに、オタクの聖地である秋葉原という地名は、かつてこの地に存在した秋葉神社(鎮火社)に由来します。
秋葉原という地名は、
- 明治時代に起きた大火事の後、
- 防火のために設けられた広場が、
- 人々によって「秋葉の原」と呼ばれるようになった
ことに由来します。
つまり、明治初期の大火の後、
- 火除けの神として秋葉神社が、
- 現在の秋葉原駅付近に建立され、
- その周辺の土地が「秋葉の原」と呼ばれるようになった
ことが始まりです。
その後、鉄道駅が設置され、駅名が秋葉原と名付けられたことで、地名としても定着したのでした。
秋葉原については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

余談:アキバのメイドカフェの女の子とは、絶対に付き合えないというお話
ちなみに、秋葉原などのメイドカフェの女の子とは、絶対に付き合うことはできません。
女の子は男性を、自分より「格上」「格下」かで、恋愛対象になるかをジャッジしている
なぜなら、女の子はわざわざ金を払ってくる男性のことを、格下とみなすからです。
女の子は基本的に、格上とみなした男性のことを好きになる、という心理的性質があります。
例えば古代から、猛獣に襲われた時に、「女の子の後ろに隠れるような弱い男」をもし好きになったら、それは命に関わる大変なことになります。
したがって、女の子は格下とみなした男性のことは、好きにならないのです。
そして、メイドカフェに「お金を払って女の子に会いに来ている」という時点で「格下認定」されてしまうわけです(もちろん彼女たちは商売なので、笑顔で接してはくれることでしょう)。
そのため、そこから恋愛対象にみてくれることは、99.9%無い(そこからの逆転も非常に困難)というわけです。
逆に、彼女たちが「推し活」などでイケメン達にスパチャ(投げ銭)しているのは、相手のイケメン君のことを「格上」認定しているからです。
もちろんイケメン君たちは非常に「女慣れ」「美人慣れ」「モテ慣れ」しているため、彼らが女の子たちに振り向くこともなかなか無いわけですが(^^;
話を元に戻しますが、女の子は、男性を好きになるとき「格上感」をとても重視します。
これは覚えておくとよいでしょう。
メイドカフェの女の子とは絶対に付き合えない、その他の理由
ほかにも、メイドカフェの女の子とは絶対に付き合えない理由を教えます。
- メイドカフェの女の子は、基本的にみんな裏に、若くてイケメンの彼氏がいる。
- そもそも男性から沢山モテる女の子でなければ、メイドカフェのキャストになろうとすら思わない。自分が彼氏ナシで可愛いという自信が無いのに、わざわざメイドになろうとは思わない。
- そもそも、店のルールで私的交際は禁止されていたり、法律で過度な接待が禁止されていたりする。違反したら、店が摘発されたりする恐れもある。
- シンプルに、メイドさんにとって迷惑である。
メイドカフェの正しい楽しみ方:ガチ恋はやめておく
最後に、メイドカフェの正しい楽しみ方を書いておきます。
- ガチ恋はしない(※重要)
- もしガチ恋したとしても、叶えようとしない、距離を置いて見守る
- あくまで常識的な範囲で、予算の範囲で楽しむ
- 趣味程度・簡単な癒し程度に楽しむ
- あくまで「恋愛ごっこ」の範疇で楽しむ
- 毎日通いつめるのではなく、たまには「休み」も設ける
- 仕事や他の趣味に没頭するなどして、たまにはメイドカフェのことも忘れる
これくらいの距離感があった方が、メイドの女の子たちにとっても安心できてよいでしょう。
全国の秋葉神社の「総本社」
秋葉神社は、全国に数多く存在する秋葉神社の総本社です。
- 山頂には上社
- 山麓(ふもと)には下社
が、それぞれ存在します。
総本社とは? 全国の同系列の神社の中心
総本社とは、他の神社へと分霊された(招かれた)神社の元・メインとなる、中心となる神社のことです。
つまり、全国に約400ほど存在する秋葉神社のうち、総本社であるここ・静岡県浜松市の秋葉神社こそが、最も中心の神社ということになります。
「分霊 」とは
「分霊 」とは、ある神社の神様(神霊)を分けて、他の地域に存在する別の神社へとお招きして祀ることを指します。
つまり、メインの本社に存在している神様を、別の場所へとお招きして勧請するときに、神霊を分けるという行為のことをいいます。
日本のオリジナルの宗教である神道では、
- 神霊は、無限に分けることができる
- もし分霊したとしても、元の神霊には影響がない
とされています。
また、分霊された神霊も、本社の神霊と同様の働きをすると考えられています。
例えば、稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社であり、全国の稲荷神社は、ここから分霊されたものであるとされています。
火除け以外の、その他の「御利益(ごりやく)」
秋葉の神様には、火除け以外にも、その他の御利益として、
- 家内安全
- 厄除開運
などのご利益があるとされています。
火から守る神様・ヒノカグツチノオオカミ
秋葉神社においてまつられている、主な神様は、火之迦具土大神という神様になります。
ヒノカグツチは、秋葉山に鎮まる神であり、またの名前を
- 「秋葉大神」(あきはのおおかみ)
とも呼ばれます。
ヒノカグツチは、日本神話に登場する「火の神様」です。
彼は、主に火を使うことが多い(火事になりやすい)、台所や竈を守る神として信仰されています。
イザナギとイザナミから生まれた神様
ヒノカグツチは、かつて日本列島を作ったとされる神様である、イザナギとイザナミの間に生まれた神様です。
火の神であることからイザナミを火傷させ、その結果亡くしてしまうという伝説があります。
火を使う仕事・鍛冶屋からも重要視された
また、ヒノカグツチは、先述の通り火を司つかさどる神様として、
- 鍛冶屋
- 焼き物を作る人
などといった、火を扱う職業の人々から崇敬されてきた、という歴史があります。
鍛冶屋とは、金属を熱して叩き、刀や剣、その他の様々な道具をつくる職人のことをいいます。
以上、今回はここまで
以上、今回はここまでになります。
お疲れ様でした!
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